「わかった」で、止めない。大抵は「わかった気」になってるだけやから
- #32 わかるの深淵を覗く(中編)【超相対性理論】 by 超相対性理論き聴きながら、そんなことを考えてた。
- ポッドキャスト内で言われていたように、何かを完全にわかるということは、おそらくはない。
- 仮にそれを真とすると、わかろうとする姿勢を持ち続けることが大切になってくる。
- 「わかった気」に陥ると、理解から遠のいてしまうで、結構すぐに陥ってしまう。と、そこで止まってしまう。
- 仮にわかった気になっていない、と思っていたとしても、完全にわかったと思ったとしても、そこで止まらずにさらに理解していこう、という姿勢を持ち続けること。何度でも理解の山を下ること(ポッドキャストでは、この表現もあまり良く無い、と話してたね。山を登るという比喩は、理解の到達点があるという勘違いをさせるから)。
- 完全にわかった、ということなんてない。