📚はじめての経済思想史

20260915

第一章 アダム・スミスー資本主義の道徳的条件

  • 分業し、市場を介してそれぞれの人が別々の才能を伸ばしていくことで全体として豊かな生産を可能にする、と考えた。
    • 努力の等価交換経済
  • 自由競争市場が努力の成果物どうしを等価に交換しあい、分業による豊かな生産と消費が経済を作り出す、と。
  • 「見る」と「見られる」を繰り返し、共感を生む行動をとるようになり、モラルという秩序が自然に形成される。
  • モラルとお金儲けをする人間像との共通点は、相互評価をしている、ということ。で、それは互いに影響するので、お金儲けの道と徳のある生き方とは両立する。
  • 自由競争市場では、土地や資本をも持っていると努力が正当に評価されなくなる危惧があるが、以下により解消すれば良いとスミスは考えた。
    • 資本を貸す場合は、高すぎる利率は禁止する事で、資本がないが努力し得るところに資本が流れる。
    • 土地は、相続の際は分割相続とし、広大すぎる土地の保有がないようにすれば、社会にとってより良い(努力している)ところに貸すであろう。
  • よって自由経済市場は、公正のもと引き出される庶民の力と「見えざる手」の機能の両輪によって、豊かな消費を可能にする国を作り出す。
    • 個々人の力は自分の儲けを意図して力を発揮しているが、見えざる手に導かれて社会全体の利益を推進するように。
  • 植民地のような支配は支持せず、強国と弱国においても自由市場経済を推奨した。というのも、スミスは自由な経済交流は弱者に大きな機会を与え、成長を促すと考えたから。
    • 強者と弱者の共存共栄が成り立つことを良しとした。
  • スミスが資本主義経済を正当とみなすために挙げた条件。
    • ①自由経済市場が(特に資本家が)フェア・プレイであること
    • ②資産を持っているものがそれを貸し出す場合は、貸し出した相手が資産を良い用途に、全体の富裕化を促進するように活用すること
    • ③強者が弱者を支配せず、相互利益の関係で弱者側の能力も活かされること

第二章 J・S・ミルとマーシャルー労働者階級への配分と成長

  • スミスの前提としたことで大事なのは、フェア・プレイであること。
    • スミスの道徳的条件は、19世紀になれば明らかに満たされなくなった。
  • ミルの思想
    • p57.個性を発揮する自由があること、そしてその機会が多くの人びとに開けていることが、よい社会(質的な価値を考慮した上での最大幸福)にするために何より重要である。活躍の機会が与えられれば、人間は能力を伸ばし、成長するものである。

      • choiyakiおそらくぼくはこの思想にかなり全面的に同意している。からこそ、ミルが気になるのやろう。「自由論」は読むべきやな。
  • ミルは、スミスの①〜③の特に①と③が実現されていない現実を見て、「分配」する、つまり資本家ならびに事業経営者が搾取せずに労働者の働きに見合う給料を支払うことで、フェア・プレイが重視される、との考えを持っていた。
  • マーシャルもミル同様、資本が事業経営者によって動かされていることを前提にし、経営者には「経済騎士道」という、労働者には「人生基準」という倫理的条件を挙げた。
    • 経済騎士道
      • 目先の利益に左右されず自らの仕事の社会に対する責任を意識し、誇り高く、名誉を重んじ、社会から尊敬される存在であるべき。
    • 人正基準
      • 自らの能力を開発することに努力を惜しまない生き方

ケインズー「金融」が資本主義を歪める

  • ケインズはスミスを否定した、とされているが、②が満たされていない現状を明らかにし、それに対して政府の介入が必要である、と提案。
  • ベースにあるのは、株式はいい会社のものが値上がりすると考えられておらず、「値が上がりそう」と多くの人が思ったところが上がるだけ。債券は利率が上がりそう・下がりそうと多くの人が考えたように動くだけ。
    • 美人投票ゲーム。
    • 投資した相手が社会の富裕化に貢献するか?は見られていない。
  • つまり、社会にとっていいところにお金がいくのではなく、お金儲けのためにお金が使われている、ということ。だから、②はまったくの自由競争経済では実現されない、と。
  • また、株式、債券の値段つまり市場は確率論的に予測することはできないということ。不確定な要素で決まっている。
    • ケインズの後に行われた政府の介入は、この部分を重視していなかったが故に失敗。
  • 貯蓄者のお金儲けは全体の利益に繋がっていないので、貯蓄過剰であれば富が活用されないことを見抜き、政府介入を提案。
  • 所有者(株主)のお金儲けよりも、実業(企業家と労働者)のお金儲けを優先。

第四章 マルクスー「私有」を問い直す

  • マルクスは、封建制→(市民革命により)近代市民社会〜資本主義→共産主義、と移り変わる、と考えていた。必ずしもそうではない、としつつ。
  • 自分の努力を生み出すものやその結果の「私有」の権利は良いこと。私有な財産を増やす自由があり、お金儲けのための「私有」の権利(私有財産権)はマイナス面。
    • 資本主義にはマイナス面を見ている。
  • 資本主義は、恐慌をもたらす。恐慌ごとにダメージを負う。克服不可能な恐慌が訪れ、私有財産権を基礎とする資本主義は崩れる。
  • 「個人的所有」を理想、と考えた。
    • 著者がそこから可能性として、生産者協同組合と労働者が主導権を握った株式会社を想像。
      • 生産者協同組合:労働者による会社の共同占有。労働者たちが持分権を持つ。
      • 労働者が主導権を握った株式会社:株主に会社の持分権があるが、経営に対する支配権はないような形。
    • スミスの「お金儲けはフェア・プレイの競争の中でおこなわれるべきであり、社会と切り離された利潤獲得機械になってはならない」を満たすための方策、と言える。
    • 富を託された労働者が主役となり、責任ー良いお金儲けの中身を示す応答ーを果たすような。

第五章 ハイエクー「私有財産権」の絶対性

  • 私有財産権を持った所有者が経済の主役から降りていくという方向性を持つ流れが、著者が描き出そうとする経済思想史の本流。

  • ハイエクが本流と考える人も多い。が、著者は以下のように結論づける。

    • p148ハイエクは自由競争の精神を守ろうとする面ではスミスの素晴らしい後継者と言えるのだが、そのために私有財産権の保障という時代遅れの方法をとった面において、時代状況に合わせてスミスの条件を回復するという本流には位置づけられない

  • ハイエクは、市場経済上で自然に出来上がった「一般ルール」を「法の原則」とした。

    • よいルールは理性では作れない、として。
    • 原則として認めたのが、私有財産権、製薬の理想、自由競争。その原則に則る形の適応と変化はよしとして。
  • ミル、マーシャル、ケインズ、マルクスらは、資本主義と格闘した方向性に対し、ハイエクは個々人の私有財産を賭けて自由に挑戦し、その失敗を引き受ける、というもの。

    • 個人の私有財産権は「法の原則」として最重要視し、自由を認めるが、大株式会社には認めない。
    • 確かにスミスの「努力の等価交換経済」に則っているが、上記4名はそれが妥当しなくなった資本主義経済でどうすべきか、を考えた。
    • よって、「時代状況に合わせてスミスの条件を回復するという本流には位置づけられない」。

第六章 フリードマンー「市場主義」の扇動者

  • 薄っぺらい「政府介入主義」を、薄っぺらい「市場主義」が批判し、政治を動かした。その扇動者が、フリードマン。
    • 政府は悪、市場が善。
  • 市場主義の危険さは、何でもそれで解決できる、という説明ができてしまうこと。
    • 解決しない問題をあたかも解決できるように主張できてしまう。
  • スミスの条件なしに、見えざる手を引用し、権威づけのためにスミスを持ち出す。
  • とはいえ、所有者が主役から降りていく流れは変えよう無い。

第七章 組織の経済学ー現代の経済理論における株主の位置づけ

  • 会社は株主のもの、とは理屈として正当化することはできない。かといって、会社で働く労働者、とも言い難い。
  • 現状は、「一応の株主主権」
    • 株主主権が無くなると、浪費が起こりかねない。から、利益を株主に伝えるという体は必要。実情は、利益の数字を出すのは株主のためではなく、浪費を防ぐため。
  • 一応の株主主権では、会社が社会に対する責任にはなりきれない。
    • 企業の社会的責任は、浪費を防ぎ長期的に価値を高めることに資する限りに限定される。なので、企業の収益に結びつかないように見える支出はできない。できるのは、それにより評判が高まるなどで長期的に企業の収益になる時のみ。
    • こうして利益が目的化しかねない。
  • 利益の配分について、明示的に従業員組織に託す制度にする事で、経営者も労働者も「我らが仕事を続けるための資源」と認識でき、そう認識できることによる影響は小さくないはず。