📚哲学と科学

第一章 愛知の心

  • 哲学とは「知ること」であり「思索すること」である、つまり「実践」ではなく「理論」。

  • p26.哲学するとは、身体を動かすことではなく頭を働かせることなのです。

  • 哲学とはものを、ほんとうのものを知ろうとする態度。対象がいかなるものでも、正確、確実に知ろうとする態度。

    • 対象をよく見ることは必須で、五感で感じることも求められる。そして考える。現在の知識を疑う。
  • 哲学というのは人に見てもらうためではなく、ただ自分一人でするもの。

  • 見ることが必要で、ただ見るだけではなく、見て、そして考える。見るだけでは不十分。であると同時に、考えるだけでも不十分。

    • 見るとは、外にあるものをそのまま受け入れること。
      • そのまま受け入れるのは難しい。どうしてもそこに決めつけが混じってしまう。それは過去の記憶やすでに出来上がっている概念で対象を割り切ってしまっている。
      • ただ見るとは、驚きという感情が伴うはず。
        • 驚くことが若人の特権であるとするならば、哲学こそ若者の学問。
    • 哲学するとはただ考えることではなく、単に見ることでもない。考えながら見、見ながら考えるのが哲学。
  • 哲学は、ありとあらゆるものを対象にする。一切の存在を知ろうとするのが哲学。

  • 理論と実践とでは実戦の方が尊い。が、何を実践するのか?に答えあるものが哲学。
    第二章 哲学と科学の相違点

  • 哲学的態度とは、存在に対する知性の徹底的な闘い。

  • 科学の対象は、存在の一部。分けて考えて、分けたものを対象とする。哲学は存在全体を対象とする。

  • 科学は一つ一つの事実から、共通の一般法則を見出す。哲学はそれら事実の底にある原則をあばきだす。

    • 「法則」は現象の間にあり、「原則」は現象の奥にある。
  • 内から知られるものは、意識。

    • 物体というものは外からでないと知ることができない。
    • すべてのものが物質であるわけではなく、ゆえに科学で扱う範疇にないものがある。それが精神であり意識である、と言いうる。
  • 意識の特色は、刻々と変化し、新たなものとなる。これこそ時間というもの。

    • 時間とは何か、を研究するのが哲学。
  • 哲学の対象は存在の全体と本質であり、精神と時間である。

    • 存在の全体を対象とするならば、客体だけでなく、それを眺めている主体をも含む必要がある。
    • それは、外から眺めることはできない。その眺める主体も存在の中に含まれているから。
    • 客体と主体を含む存在の全体を知るというのは、「自覚」によってなされる。自分の底にあるものを求めることによって。すなあち反省によって。
    • ただそれにより出てくるものが、理論があっても、それが存在に結びついていないならだめで、理論を存在に結びつけるのが直感。直感という認識方法が必要になる。
      • choiyakiこの辺がよくわからないよね。
    • 一人の人によってなされる。
  • 科学は事実を観察し、そこから理論を立てる。まず事実から。

    • 観察のために感覚を鋭くする必要があり、道具を用いる。
    • 対象を精密に正確に知るために、「分析」する。部分に分けて見る。
    • 科学とは対象を分けて理解しようとするもの。
    • 複数の人によって分業的になされる。
      第三章 哲学の方法
  • 哲学においても、科学同様他者と対話して、協力して研究する必要があるのではないか、となるかもしれないが、哲学はあくまでも自己との対話。他者と意見を交換し、批判的な議論がなされたとしてもそれは、他者を媒介して自己との対話を深めているに過ぎない。

  • 反省というのは、まず自己を自覚し、自己について批判すること。そして批判とは、事実の可能の根拠を求めること。であるならば、哲学は、その事実の可能の根拠を明らかにする学問。

    • そうした場合に問題になるのが、事実の後を追いかけるだけで、事実の根拠を明らかにするだけで、新しいものを生み出す力がないとされる部分。消極的であり否定的。
  • 反省は、行き詰まりや困難、悩みが生じたとき、壁に突き当たったときに起こる。が、知的になるほど、自分自身を知ろうとするようになり、自己反省が起こる。

    • なぜ自己反省するのかというと、自己をよりよくするため。外側を取り繕うのではなく、ありのままの自分を眺め、欠点を改めるため。
    • 反省とは、自己を見ることによりより深く自分を掘り下げること。
      • choiyaki自分を掘り下げることが学問たりうるのはなんでか?
  • 反省は、自己批判であり自己肯定である。が、この二つは同じではない。

    • 欠点を自覚するため、なので自己批判。
    • 自分で自分を見出すこと、なので自己肯定。
    • 現在の自己を否定することにより、新たな自分を見出すのが反省。
    • 見出すことにより、自己を意識にのぼす。存在を自覚する。
  • 存在の自覚。

    • 世界における自分の位置を知ること。
    • 環境や経験やさまざまな要因から現在を決定している。意識や精神も。反省はそれらを放棄し、真の自己を発見すること。
      • choiyaki放棄して、何か残るのかな?
    • 逆に、世界すなわち存在が自己を自覚すること。で、世界の自覚のは世界の自己批判。世界が自己を反省することが哲学。
      • 時代批判の学。
      • choiyaki??むずい。
  • 「自分の問題は世界の問題であり、世界の問題は自分の問題である」というのが哲学の立場。

    • なぜなら、反省という方法を用いて、反省という方法によってのみ、存在全体を対象にしうる。
    • 科学のように何かしら対象があって始めるのではなく、最終的には存在全体を扱うが故に、何から始めてもいい。
    • 反省によって自己を見出し、存在を自覚する。
  • ものを知るには、内から知る方法と外から知る方法があるが、内から知る知り方を直感と呼ぶことにする。

    • 内から知る、つまり直感の対象は、動きのもと、生命力というか意識というか、つまりは原動力。
    • 直感は、感覚や知性を働かせて得られるものではない。
      • 対象と一つになり、内から実感すること。sympathy。
    • 普段ものをほんとうに認識しているのではなく、自分が持っている概念のいずれかにあてはめているだけ。
      • これでは対象のほんとうの姿をつかんだことにはならない。
    • 概念関係なく、概念をぶちこわして対象と一つになることで、そこに直感は成立する。
    • 一方で、物質の学である科学には直感という方法は適用できない。
    • 思索があって哲学体系が考え出されるのではなく、存在があってそれに応ずる論理が見出される。哲学は、「直感」の論理化、体系化。
  • こう考えると、哲学は個性的なものとなってしまいはしないか。

    • choiyakiまさに、そう思ってて、哲学を受け付けれてないのはたぶんここに起因する。
    • 個性的なものでいい。個人的ではダメだが、個性的、つまり違いながら相通じる部分があることが必要。
    • よって、人間のあるだけ哲学もある。そうあるべき。
    • choiyakiやはり明確な答えをつかめない。じゃあ各々がもってたらいいではないか。体系的に他に提示する必要はないのでは?と考えてしまう。ただ、そういう個々の個性的なもの、個性的な直感の体系化を知ることで、それを自分の個性と混ざり合わせて直感を変化させていけるところに哲学の大事さはあるというのは確かに。
      第四章 科学の方法
  • 科学の方法である分析と実験のうちの分析は、本来一つものを分けて認識すること。

    • 具体的、物質的分割
      • ただ細かく切断
      • 対象を研究するために部分に分ける
    • 抽象的観念的分析
      • 論理的分析
      • 数学的分析
    • というように、複雑な内容を持った対象の内容を純粋に取り出すことが分析。
    • 分けるだけでなく、同時に全体も見る。部分に分けることによって全体を見る。
  • 分析では、対象をいろいろな側面から眺める。

    • どこから眺めるか、という立場が必要。
      • ある立場からまた射影。
    • ある立場から対象を知るためには、記号が必要になる。つまりは、分析的理解とは、記号による認識である。
  • 分析することで対象を要素に分ける。その要素は他の多くのものになる要素。

    • 特殊なものを一般的な要素で理解するのが分析。
    • よって、絶対に他のものによって置き換えられない唯一独自なものと、刻々と新たになるものには分析を用いることができない。
    • 直感の対象は、生命の内観としてのみ成立する。分析の対象は反対に、生命と時間の理解地は用いることができない。
  • しかし実は、特殊なものと変化するものをも一般性と空間性の立場から理解しようとする。

    • 直感の対象であるものを。
    • 内的自覚的にしかとらえられないものを、次から次へと立場を変え、尺度を変更しながら対象を様々な角度から見る。が、それでは核心に迫りきることができない。
    • が、哲学とは別の使命がある。
  • もう一つの科学的方法、実験とは何か。

    • ベルナールの一酸化炭素中毒に関する実験から言えることは、

      • 事実を正確に観察する
      • その事実を説明する理論を構想する
      • 実験によって確かめる
        • もし違えば、別の理論を構想し、実験する
      • 学説が生まれる
    • という四つの段階を経て、この実験は完成している。

    • 実験とは、事実を調べることでなく、科学者の考えた構想を事実によって確かめること。

      • 自然を特殊な状態においたり、条件を一定にして事実を純粋に取り出す、とかは、実験の本質ではなく実験の手段にすぎない。
    • 「観察は事実を確かめるものであるのに対して、実験は思想を調べるものである」

      • 自分の学説を捨てて、実験を行う。
  • 哲学に対する科学の特色は、理論が事実によって保証されていること。

    • とはいえ事実は積み重ねても、実際は間違っているという可能性は常にある。
  • 科学者は、頭で考え手で実験する。その両方が求められる。どちらか一方ではいけない。

  • 観察、構想、実験、学説の四段階

    • 準備段階が観察、構想。理論の形成段階が実験、学説。
    • あるいは別の段階も。
      • 観察、実験が感覚による認識が求められる。身体的。自然に関するもの。自己を消して受動的に自然を受け入れるもの。経験主義の立場。
      • 構想、学説は理論の統一段階。精神的。人間に関するもの。人間が能動的に自然を自分の知性の支配下に置くもの。合理主義の立場。
    • 実証性は、敬虔主義と合理主義の両方をうちに含む。
    • 観察とは、自然の現象をそのまま受け入れること。
      • 知識が邪魔になりがち。新鮮な心が必要。
      • 受動的に自然を受け入れる必要はあるものの、能動的に外界に迫ってゆくことが必要。それがないと新しいものが見出されない。
    • 構想は、人間が能動的に自然を自分の知性の支配下に置く。
      • 事実の上に築かれないといけないが、事実の上に築かれてさえいればどんなものを構想してもいい。
      • 科学者には芸術家のような感受性と豊な想像力と、哲学者のような強靭な思考力を持たないといけない。
        • 構想を夢想してもいい。それを理論によって、理性によって耐えうるものにすること。
      • 単なる観察者と真の科学者とを区別するものは、「なぜか?」という問い。
        • 偶然を掴めるか否か、もここにかかっている。
    • 学説は科学者の思想であるが、事実の上に築き上げられ、実験によって事実による保証を得たものなので独断的な思想というわけではない。
  • 実証主義とは何か。

    • コント。三段階のうちの三段階目が「実証的科学的」な段階。
      • 「秩序」と「進歩」をもち、欠点である「非合理性」と「非現実生」を除こうとするもの。
      • 社会学を創設。多くの実証科学のうち、最も具体的・現実的な実証科学は社会学であるとした。
    • 実証主義は、一つの哲学の立場。
    • 実証主義と実証科学とは違う。
  • 実証的とはどういうことか。

    • 実証的とは、現実的。思弁的なものではなく、事実によって証明され、現実の世界に関係する。
    • 実証的とは、役に立つ。そして明確である。
    • さらに、相対的である。絶対的なものはない、とする。
    • 絶対的なことがあるとすれば「すべてのものは相対的である。これが唯一の絶対的なことである。」
    • 実証的とは、人間を神化する思想。人間中心の科学が、実証科学。
  • 実証主義は、「愛を原理に」「秩序を基礎に」「進歩を目的に」の体現。

  • 実証的とは、相対的であるならば、科学的真理も相対的なってしまう。それでいいのか。

  • 現在を知るのは将来に対して知識を一つ得るためで、ものを知る目的は未来にある。

    • 予見するのは、準備をするため。よって実証科学は、知のためというよりかは行動のため。
    • 研究は何かのためではない。人類の幸福のためとか、エネルギー源を得るためとかではない。幸福とは何か、エネルギー源とは何かが研究対象。でもそうして形成されていく科学的知識の存在理由は、純粋な理論にあるのではなく、実践にある。
    • 相対的なものを真理と言えるかというと、真理として絶対的なものを想定しているからそういう質問が出るのであって、科学は絶対的認識のためにあるのではなく、生活のためにあるので絶対的真理に恐れ慄くこともない。
  • 新しい世界と歴史を作ろうとするのが、実証科学。

    • そこに利己心などは禁物。人類がガッチリと手を組み、暗闇の中を一歩一歩と前進するのみ。実験と分析という明かりをもとに。
  • 分析とは、対象を他のものとの関係において理解する知識。

    • 実証科学は、それによって対象の本質を知るためではなく、一定の記号の下に一般的関係におくことによって、行動の支配下に入れるもの。
    • 一つの仮説にとどまるということは、科学を行動のための知識とする実証科学である限り、それでいい。
    • 哲学は、対象と同一化するが、科学は対象を支配下に入れる。対象を変更しようとする。
    • 哲学は知るための学であり、科学は生活のための科学。存在理由からして違う。
      第五章 哲学と科学の相補
  • 哲学と科学はどう違うのかをおさらい。

    • 対象と方法、存在理由が違う。
      • 対象
        • 哲学は、存在の全体。本質。時間・動き・その原動力。精神。
        • 科学は、存在の一部分。現象。静止においてとらえる。物質。
      • 方法
        • 哲学は、存在を内から見る。反省と直感を用いる。
        • 科学は、外から見る。観察及び実験と、分析。
      • 存在理由
        • 哲学は、純粋にものを知るための学問。
        • 科学は、生活を豊かにするための学問。
  • 哲学と科学はいずれも必要で、相補って完全な学問になる。まず第一には、互いに足りない部分を補うことによって。

    • 科学の必要性
      • 行動のためにある。豊かさをうむ。
        • 哲学はただものを知るため。豊かにすることが本質ではない。科学は豊かにすることが本質。
    • 科学の不完全さ
      • 知り得ないものがある。分析するために、全体をそのまま知り得ることはできない。
      • 分析は、静止したものが対象。動きを対象としえない。
      • 一度もなかったような、真に創造的なものを知り得ない。
    • 哲学の必要性
      • 科学では知り得ないものを知ることができる。かつ、知ることそのものが存在意義である。
    • 哲学の不完全さ
      • 身体と物質と経済を対象にすることは哲学の本質ではない。ゆえにそれらは対象外となってしまう。
  • 第二には、哲学そのもののうちに科学が、科学自身のうちに哲学が含まれることによって。

    • 哲学が具体的になるには科学が必要。事実を観察することが必要。
    • 哲学の「反省」においても、科学の援助が必要。
      • 反省では、自分の存在を深める。がゆえに、その存在をとらえるには内省的に自分を見るだけでは不十分で、外から眺めることによって姿を明らかにする。
      • 哲学者にとって自然科学的知識・社会科学的知識は必要ということ。
    • 科学は事実を基礎にしているが、事実を理論的に説明することによって学問になる。
      • 哲学同様の深い思索が必要。
    • また加えて科学では対象を支配下に置くことを目的とするが、そのためには対象そのものを知る必要があり、そのときには直感がより深く知るために必要に。
      • 存在そのものに触れるために。
    • 科学理論を考える場合には、反省が必要。理論が当てはまらない事象が出てきたときなどに、理論そのものが正しいか反省しなければならないから。
  • 存在とは何かではなく、化学とは何か、など特殊な存在や現象についての哲学を特殊哲学という。

    • 特殊な存在や現象そのものの本質を問うのは明らかに必要。医学を進歩させるには、医学の本質や使命が必要。
  • 学問とは哲学と科学を含むものでなければならない。

    • 同じもの、ではない。お互いがお互いを含み、一つになったもので、その点において哲学と科学の区別は具体的にはつかない。
      第六章 真理への意志
  • 哲学者も専門的に科学者として身につけるよう努力すべき。

  • 科学者も同様、哲学的試作が必要であるからして、専門分野に閉じることなく、存在一般に関する知識、つまり哲学を勉強すべき。

  • が、個人では限界がある。科学者と哲学者が手を取り合うことが求められる。

  • 「学問」は人生にとっていかなる意義を持つのか?

    • 人間は本来、知ることを欲する。「真理への意志」こそ人間における最も人間的なこと。存在の根源をあばき出すことが目的で、学問はその目的のためにある。
    • それだけではなく、この人生を堂々と歩むためにも、正しいと思われる真理に従って実践すること。
    • 学問は、存在の内部って理論を見出し、道徳によって外のものを知るために実践が必要。
    • 道徳において尊いのは、実践。善の理論ではなく、その実践。
      第七章 哲学と個性
  • 哲学説が個人の思いつきではないためには、唯一者でありながら相互に相応ずるといつことがないといけない。

    • 科学的な一般性はもたないながら、万人に通じる普遍性をもっている。
  • 三つの問い、「何か?What」「何故に?Why」「如何に?How」。

    • 何か?は存在の本質に対する問いかけ、存在の理由づけに対する問いかけが何故に?。
    • 何故に?の答えに完全に答えることができず、如何に?を問い、対象の本質や根拠を求めることをやめ、現象がどのように現象していくかを明らかにしていく。これが、科学の立場。
    • 如何に?を明らかにするためには、何か?を問う必要があり、何か?を明らかにするためには、何故に?を問う必要がある。
  • 哲学は常に、主体的でなければならない。自我から出発。これは哲学は個性的である一つの理由。

    • 哲学は自己の問題であって、他人事であってはならない。他人の問題をも自己の問題として取り上げるのが哲学。自己を破棄して、自己ならぬものを問う。
    • 自己は、非我を通して自己を自覚する。非我が自我の真の存在証拠。

哲学と科学を対比させながら、それぞれの対象と方法と存在意義を明らかにしてくれる。そこからお互いの不完全さを確認し、補い合う関係であることが論じられる。
確かに科学と哲学との対比から、お互いの違いはかなりわかりやすく述べられていて、しかも各章のはじめに前の章のまとめを述べるところから入ってくれており、それもわかりやすさに貢献していると感じた。講義をまとめたものなので、実際講義のはじめに前回のまとめを述べる、という展開で話してたからやろうし、初学者でもわかるように考えられていると思う。特に科学の方法が「分析」であるの説明や、実験についての部分は楽しく読めた。多分イメージがつきやすいからやろう。でもやはり哲学の部分が具体的にイメージすることが難しく、抽象の階段が3段くらい登られている気がして、難しく感じた。難しく感じつつも、ちょっとは見えた部分、腹落できた部分があったので、哲学との距離を多少は縮めれたのではないか、と思う。