わかりやすく伝えることは、相手をわかった気にさせやしないものか

「わかりやすく伝える」

数学を教え始めてから、ずっと意識し、胸に抱いていた。
でもいつからか、わかりやすく伝えることが、ほんとうに良いことなのか迷うようになった。

何かを学ぶ時、そこにはたくさんの“発見”がある。「あっ!そうか!!」とストンと理解し、これまでの知識が繋がるような。
わかりやすくすることで、そういう、自分での発見の芽を積むことになってしまうのではないか。

「わかった気」に陥ると、理解から遠のいてしまう
わからないのであれば、理解に向けて考えていける。
わかった気になっていると、そこで思考が停止してしまう。理解していなかったり、身についてなかったりしても、わかった気になった時点で学ぶのをやめてしまう。わかったのだから、もうやる必要はない、と。

わかりやすい解説をすることで、聞き手を「わかった気」にさせてしまうのではないか。それってあんまし良いことではないのかも、と悩む。
「他の人に説明する」が、「わかった気」から脱却する方法の一つやと思うので、教えるときにそういう過程を盛り込めないものか。

「わかりやすいことは、ほんとうに良いことだろうか」という疑問。
わかりやすさによって、発見の芽をつんでしまわないか。
わかりやすさによって、わかった気にさせてしまうのではないか。
こうして考え、迷っているのは、教えることについて、まだまだわかっていないから。わかった気になっていないから。
だから、もっとこのことについて考えていける。考えていきたい。