メモを見返し、操作し、「かきまぜる」ことで、動的なものとして扱うことで死蔵を防ぐ

情報カードやWorkFlowy、デイリーページにメモった細かい思いつきのメモは、積極的に束ねてObsidianに書き直し、お役御免に、アーカイブにする。

束ねるとは、同じ内容について言及してあるカードを集めて、ひとかたまりにすること。1メッセージで書くことを意識して、いくつかの細かい思いつきから一つの着想メモとしてまとめること。

細かい思いつきは、放ったらかしにされがちで、死蔵することになってしまいがち。そうして見返されることのない記録がたまると、その書きつけている場所はメモを動的に扱うところではなくなり、静的にストックしていくところになってしまう。
そうしてEvernoteは、ログばっかりの、固定化されたストックの場所へと変貌していった。
このストック化を防ぐためにも、動的に扱わねば。メモは見返し、操作し、「かきまぜる」ことをせねば。かきまぜて、動的な場所を保たねば。
かきまぜるとは、抜き出し、見返すこと。追記・編集すること。

梅棹さんの「カードはくるためにある」ってのは、かきまぜなあかんよーって提言なのかも。書いたものは、くって動的に扱わないといけないよーって。
情報カードの一番大事なところは、「くって遊べる」ところであり、くって遊ぶというのは、つまりはメモ群をかきまぜるという行為。

着想メモとしてまとめたとしても、それが増えて多くなると、やはり静的な場所になってしまいがち。量が増えていることで、全体をかき混ぜることは難しい。そうなると、全体を動的に扱えず、固定化されていってしまう。

じゃあ、細かな思いつきのメモや、そこから生まれた着想メモを増えないようにしていけばいいのかというと、そうではないのは言うまでもなくて。
情報は、増えていく。これには抗いようがなく、どうしても増えていく。増えれば増えるほど、見返すぞと自分から見返しにいける量の、見返せる量の全体に対する比率は低くなっていく。
全体がかきまぜにくくなってしまうのは仕方ない。
かつ、全部を見返すことは無理がある。
なので、ランダムに、偶然にまかせて、何枚か抜き出し、見返す。
リンク機能のあるノートアプリのページは、常に他の情報と結びつくスタンバイができたままであることを利用し、偶然に目に入る機会を増やすことでかきまぜる機会を増やす。
かつ、Spaced Repetitionによるノートの見返し&追記を行うのも有効だと考えてる。適度な期間で同じメモを見返し、整える。

リンク機能のあるノートアプリに書いたメモは、1メッセージにしてほうっておく。そのうち見返され、それにより全体がほんのちょっとでもかきまぜられる。新陳代謝が起こる。それが大事なのではないかな。

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