自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙。それをどんどん増やしていく?

「タスク」を書いたメモは、実行日に見返すようにしておく必要がある。「記録」の書かれたメモも、「あれ、なんやったけなぁ」というときに参照される。では、「着想」メモはどうなのか。「こういうときに見返す必要がある!」ってときが、「こんな風に利用されなければいけない」って場合があるのか。

「着想」メモは、その瞬間に思いついたアイデアの種みたいなもの。でもそれは、ほかのメモと違い、あとあとどう利用されるのかが不確かなメモ。ほかのメモは、見返す必要性があるからこそメモするが、「着想」メモは書きっぱなしでも問題ない、見返さなくてもどうってことないメモである、という点で、他とは大きく違う。

見返す必要がないから、こっちから見返す機会をもうけなければ、埋れていくばかり。

アイデアの種である「着想」は、見返す機会をもうけておき、その種を育てていかなければ。利用するかどうか、はっきりしない「着想」メモは、「利用してやろう!」と思って、育てていかなければ、あまり意味を持たない。

育て、ふくらませる

書き溜めた着想のなかで、「お!これについてもっと考えてみたいなぁ」と思ったものに関して、実際にじっくり考えていく。メタノート的な運用をする。

着想メモを育てるのは、A4またはそれ以上の大きめの紙の上。あれこれ考えるときは、大きい、スペースの広い、紙を使うのが一番。

思いつくことをじゃんじゃん書き足していき、関連を矢印でつないだり、大事そうなところはぐるぐるとまるで囲んだりしながら、着想を育て、ふくらませていく。
この時間は、なかなか楽しい。
ときには、A4の大きさではおさまらず、2枚も3枚も書くときもあったり。

A4の紙を用いて、着想を育て、ふくらませたらそれでおしまいか、というと、そこからもう一手間をかける。

凝縮する

文章を書くときの作法として、よく挙げられるのが、はじめは書いて書いて書きまくって、あとから読み返し、そぎ落としていったほうが、表現の洗練された文章ができあがる、ということ。

書いて書いてふくらませて、削ぎ落としていく。これと同じことを、育てた着想に対しても行う。育てた着想をまた見返し、不必要な部分を削ぎ落とし、要点をしぼりだし、ぎゅっと凝縮していく。

着想を育てる際は、大きな紙の上であれこれ書き付けていくが、凝縮する際は、今度は小さな紙にぎゅっとまとめていく。A6サイズの情報カードのようなものに。
小さな紙にぎゅっとまとまっているほうが、育てたアイデアはあとから利用しやすくなる。そのほうが、より人にわかる形で提出しやすくなっていると思う。

育て、ふくらませて、凝縮して、自分の考えがぎゅっとまとまった一枚の紙をどんどん増やしていく。
そういう行為が、いわゆる知的生産ではないか。

自分の考えがぎゅっとまとまった「一枚の紙」を増やし、修正・変更・更新していく