📚はじめての哲学的思考
第1部 哲学ってなんだ?
第1講 哲学は役にたつ
哲学のすごさは、こうやって問題の"本質"を明らかにすることで、その問題を克服するための考え方を切り開く点にある。
哲学は、できるだけだれもが納得できるような"共通了解"を見出そうと探究をつづけてきたのだ
第2講 宗教とは何がちがうの?
- 哲学は、宗教と同じ問いに向き合っている。が、考え方や解き方は大きく異なり、宗教は「神話」の形で答えを出す。
- 宗教の本質は、「聖」と「俗」の区分にある、というデュルケームの主張。
- 人間にとって、もっとも根本的で普遍的と言えそう。
- 宗教は、人間のだれもがもっている感受性を養分に生み出された。
- 哲学も科学も、宗教からののれん分け。
- 宗教は太古の人々が、自然を合理的に理解するために生み出したもの。
- 科学と一緒。
- 違いは、宗教は「信じること」に根ざしており、科学は「確かめ合った」理論でできている。
- 普遍的なのは科学。宗教は、それを信じる集団において成り立つ。
- 宗教は太古の人々が、自然を合理的に理解するために生み出したもの。
- 宗教の最大の意義は、集団を強固に結び合わせること。
- 人間はかよわい生き物。お互いに協力する必要があり、何らかの方法でひとつにまとまる必要があるが、宗教がもっともその役割を果たしている。
- 哲学や科学は、「それはほんとうか?」を常に問う。が、宗教は信じることがすべて。
- 科学や哲学ではなしえないことをなしうる。
- 宗教の他の意義は、生きる意味を与えること。
- 宗教の深刻な問題
- 多くが特定の宗教を完全には信じきれないこと。
- 異なる宗教を信じるもの同士が、しばしば激しく争ってしまうこと。
- 宗教の問題を背景に、哲学が生まれた。
- たしかめ可能性の追求。
- 宗教はたしかめ不可能。
- 科学とはどう違う?
- たしかめ可能性の追求。
第3講 科学とは何がちがうの?
- 哲学の中でも、自然哲学は自然科学に進化した。
- 別の方向として、人間自身を対象に。
- 汝自らを知れ
- 科学が明らかにするのは、「事実の世界」のメカニズム。
- 哲学が探究すべきテーマは、真・善・美をはじめとする、人間的な「意味の世界」。
- 意味や価値の本質こそ、哲学が解き明かすべき問い。
- 恋をしている人の脳からどんな科学物質が出ているかは、科学の範疇。僕たちにとって恋とはいったい何なのか、その意味の本質については、科学は何も教えてくれない。哲学の仕事。
- 意味の世界は、科学が探究する事実の世界に原理的に先立つ。
- 事実は、意味の世界のアンテナにひっかかってはじめて、事実として認識される。
- 意味を見出しているからこそ、謎に挑み続けられる。
第4講 科学とは何がちがうの?(続)
- 事実として万人がすんなり認識できるなら、科学の対象として疑いようがない。が、そもそも事実ってなんなのか?という意味を問うべきときが、ことがある。
- 社会科学と呼ばれる分野とか。
- 例えば、学力低下。科学的な調査で指摘する人もいれば、そんな事実ないと言う人も。
- 何を学力とするかなズレがある。事実の世界においても。
- そもそも学力とは何か?という意味の本質の共通理解が必要。
- 科学であれ、意味を問わないといけない。哲学が必要になるとき。
- 核兵器や、クローンなど生命倫理に関わる技術。これらの是非を問う場合、科学だけで答えは出せない。
- 意味や価値の世界の問題となるから。
- 本質的に哲学的な問い。
- 哲学はこれらの問いに共通了解可能な答えを見出そうととことん考える。
- 意味や価値の世界の問題となるから。
- 哲学的思考とは、物事の本質を明らかにする思考の方法。
- 意味の世界の本質を明らかにするための独自の方法を、哲学は持つ。
第2部 哲学的思考の奥義
- 意味の世界の本質を明らかにするための独自の方法を、哲学は持つ。
- 事実として万人がすんなり認識できるなら、科学の対象として疑いようがない。が、そもそも事実ってなんなのか?という意味を問うべきときが、ことがある。
第5講 「一般化のワナ」に注意しようー哲学的思考、その前に①
- 自分の経験は、一般的ではない。がゆえに、自分の経験からの意見を過度に一般化してそれが正しいと主張するのは危ない。
- 一般化のワナ
- 対話や議論で大事なのは、お互いの経験や考えを交換しつつ、共通理解を互いに見出そうとすること。
- 物事を本質をつかみ取ること、本質観取が哲学の思考の方法。
- 本質観取するためには、一般化のワナに気をつけて、自分の信念を相対化して見る必要あり。
- 自分の経験は、一般的ではない。がゆえに、自分の経験からの意見を過度に一般化してそれが正しいと主張するのは危ない。
第6講 「問いのマジック」にひっかからないー哲学的思考、その前に②
- 二項対立の形で問われると、どちらかが正しいと思ってしまいがち。
- これは、マジック。意味や価値に関することについては特に、どちらかが絶対に正しいなんてことはない。まるでどちらかが正しいと人をあざむくマジック。
- 絶対的な答えを出すことができない問いを二項対立にすると、堂々巡りに。
- 哲学の本領の半分は、ニセ問題を意味のある問いへと立て直すこと。
- 二項対立の形で問われると、どちらかが正しいと思ってしまいがち。
第7講 相手をいい負かすための議論術ーでも、それはとてもむなしい
- 相手をいい負かすための一見無敵の議論術、帰謬法。
- 相手の主張の矛盾や例外を見つけ出し、ひたすら攻撃・反論し続ける論法。
- 否定のための否定になってしまう。共通了解から遠ざかる。共通了解への、ステップにしたい。
- 超ディベート
- どちらが説得力があったかを競うのではなく、お互いに納得できる第3のアイデアを見出し合う議論。
- 相手をいい負かすための一見無敵の議論術、帰謬法。
第8講 ここか、思考をはじめようー帰謬法を封じ込める
- デカルト「我思う、ゆえに我あり」
- 帰謬法により、確かなものなどないと言う主張に対し、疑えない存在としてわたし自身がある、疑っているわたし自身は疑いようなく存在する、という主張。
- わたし自身も疑える。細胞は入れ替わり、去年の自分と今の自分は同じかどうかわからない。
- 心身二元論により反論したが、納得できる人は多くなかった。
- 帰謬法により、確かなものなどないと言う主張に対し、疑えない存在としてわたし自身がある、疑っているわたし自身は疑いようなく存在する、という主張。
- フッサール、意識作用は疑えない
- 氷は冷たくないかもしれないし、グラスの中の液体は水じゃないかもしれない。が、グラスが見えちゃってる、冷たいと感じてしまっているという事実ー意識作用ーは疑いようない。
- 帰謬法によって否定しようない。
- 氷は冷たくないかもしれないし、グラスの中の液体は水じゃないかもしれない。が、グラスが見えちゃってる、冷たいと感じてしまっているという事実ー意識作用ーは疑いようない。
- 帰謬法では、どんな議論も真か偽かの話に持ち込み、偽であることもしくは真とは言えないことを論証する。
- そもそも、哲学は命題の真偽をはっきりさせることを目的としていない。なので帰謬法は問いとして成り立ってない。
- 哲学の最大の意義は、"思考の始発点"を敷くこと。
- 帰謬法はそもそも問いとして成り立っていないこと。
- 哲学は、共通了解を見出し合おうとする営みであること。
- これらが、土台となり、思考の始発点となる。
- デカルト「我思う、ゆえに我あり」
第9講 世界は欲望の色を帯びている
- どんな事実も、意味を見出さないかぎり存在しないのと同じ。この、意味の世界というのは、言葉を変えれば欲望の世界のこと。
- 水が入ったグラスを見て、
- 喉が渇いていれば飲むものと認識され、
- 敵が現れたら武器と認識され得るし、
- 退屈で仕方ない時はオモチャと認識されてたりもする。
- というように。
- 欲望相関性の原理
- 水が入ったグラスを見て、
- 欲望は、たしかめ可能な最後の地点。
- 何が欲望を抱かせるのか、はわからず、欲望を抱いていることまでをたしかめることができる。
- 経験から欲望が生まれている、かどうか確定できない。たしかめ可能ではない。欲望があることはたしかめられるが。
- 思考の始発点は、一切は僕たちの確信や信憑であること、それらは欲望に応じて抱かれると言うこと。
- どんな事実も、意味を見出さないかぎり存在しないのと同じ。この、意味の世界というのは、言葉を変えれば欲望の世界のこと。
第10講 信念の対立をどう乗り越えるか
- 僕たちの信念は、なんらかの欲望や関心によって編み上げられたもの。
- 信念同士ぶつけ合っても理解し合えない。重要なのは、どちらの信念が正しいか考えることをやめ、どのような欲望や関心から編み上げられたのか互いに吟味すること。
- 信念は実は欲望の別名。欲望自体は疑えない。互いに違っているけど、それぞれ疑いようのないものどうしをぶつけてもそりゃ理解し合えない。欲望はどう編み上げられ、それは妥当なのか互いに吟味すること。
- そこから、互いの共通関心が見出せたら、それを満たし得るアイデアを考え合う。
- これが超ディベート。
第11講 生きづらさを乗り越える
- たとえば誰かを嫌いとして、その奥底の欲望に目を向けてみる。と、自分の嫌いの感情の正体を見出せるかも。
- 欲望を知ることで、自分と折り合う。欲望相関性の原理の応用の一つ。
- ルソー「不幸とは欲望と能力のギャップである」
- ルソーの、不幸の本質への洞察。これを手がかりに、不幸から抜け出すための方法を考えていける。
- 能力を上げる
- 欲望を下げる
- 欲望を変える
- ルソーの、不幸の本質への洞察。これを手がかりに、不幸から抜け出すための方法を考えていける。
- 欲望がわからない、という苦しみ。不幸の本質。
- 世界が欲望の色を帯びているのなら、欲望がなくなれば世界から彩が失われる。
- なくてもいいと思えるならそれでいいが、そこに苦しみがあるなら、欲望を見つけたい。
- 価値観や感受性を刺激することに触れ、その経験を人と交換し合う
- 意味の世界が失われている時には、とりあえずキッチンを掃除してみるなど、無心で取り組める簡単なことをやってみる
- そこで起こる変化を認識することが、意味の世界をもう一度結わえ直すきっかけに。
- 世界が欲望の色を帯びているのなら、欲望がなくなれば世界から彩が失われる。
- たとえば誰かを嫌いとして、その奥底の欲望に目を向けてみる。と、自分の嫌いの感情の正体を見出せるかも。
第12講 今すぐ使える哲学的思考(1)〜"事実"から"〜すべし"を導かない〜
- 〜すべしを「当為」というが、「事実から当為は直接導けない」が、あらゆる学問の常識。
- 事実からただ一つの当為を導くことはできない
- ほかの選択肢だっていくらでもありうる。
- 「正しく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ」
- 当為を導いている時、絶対的な事実を勝手に作ってすべしにもっていってる。解釈は何通りでもあるはずやのに。
- すべしとされた対象者の欲望を全く考慮していない
- お前たちは○○すべしだ、と対象にされた側の欲望が全て無視されている。
- 事実からただ一つの当為を導くことはできない
- 互いの欲望の次元まで遡ることが、当為を導くための根本的な方法。
- 信念は、各々が抱く○○すべし、すなわち当為。なので当為も、わたしたちの欲望によって作り上げられたもの。
- 事実から当為を導いているのは、実は事実を自分の欲望の都合のいいように利用しているだけ。
- 当為を導くにあたっては、欲望を互いに投げかけ合い、できるだけみんなが納得できる「べし」を見出し合うこと。
- 絶対的な当為はあり得ないので、共通了解可能な当為を欲望を出し合って見出すのが哲学。
- 〜すべしを「当為」というが、「事実から当為は直接導けない」が、あらゆる学問の常識。
第13講 今すぐ使える哲学的思考(2)〜"命令"の思想ではなく"条件解明"の思考〜
- 命令の思想は、
- 命令が絶対に正しいものとは言えない
- 命令されてもそれに従えない時がある
- という2点の問題がある。非現実性というもろさも持つ。
- 命令の思想ではなく、条件解明の思考へ。
- 例えば、「いついかなる時も困っている人に手を差し伸べよ」ではなく「どのような条件を整えたなら、人は困っている人に手を差し伸べようと思うのだろう?」という具合に。
- 命令の思想より力強く、現実的な思考法。
- 命令の思想を持っている人は、それに従わない人を断罪しがち。攻撃的になりやすい。
- 「イジメは、絶対にダメ」より「人はどのような条件が整った時にいじめをしてしまうんだろう?」の方が、現実的で力強い。
- 命令の思想は、
第14講 今すぐ使える哲学的思考(3)〜思考実験にご用心〜
- 思考実験のほとんどはニセ問題。多くの場合、究極の場面を設定してどちらかを選べ、と問う。問いのマジックに引き込む。
- なんとかして第三のアイデアを見出そう。
- 哲学は、答えのない問題についてぐるぐると考えるものではなく、共通了解を見出すもの。ニセ問題に対しては、問いを共通了解可能な答えを出せる形に立て直すべき。
- 無知のヴェールやロビンソン・クルーソー状態という思考実験は、どちらもそれぞれの信念にとって都合よく作り上げられた設定。自分の主張を導きたいがための設定。
- こんな思考実験も危険。
- 欲望の次元で考える
- 1.対立する意見の底にある、それぞれの「欲望・関心」を自覚的にさかのぼり明らかにする。
- 2.お互いに納得できる「共通関心」を、見出す。
- 3.この「共通関心」を満たしうる、建設的な第三のアイデアを考え合う。
- 欲望をとことんさかのぼれば、自由への欲望(共通関心)に行き当たるはず。なので、建設的な第三のアイデアは、自由の相互承認の原理のほかにない。
第3部 哲学対話と本質観取
- 思考実験のほとんどはニセ問題。多くの場合、究極の場面を設定してどちらかを選べ、と問う。問いのマジックに引き込む。
第15講 哲学対話をはじめよう
- 哲学対話の方法1つ目、「価値観・感受性の交換対話」
- 小説や漫画、映画などの批評、何が自分の心を打ったか、あるいは打たなかったかを言葉にして交換し合う。
- 自分自身を深く知ることができる
- 自己了解に加え、他者了解も深まる
- 作品が優れていれば、その作品の良さの本質を見出し合うことができ、共通了解にたどり着くことができる
- 対話することの本質は、共通了解を見出そうとすること。
- 小説や漫画、映画などの批評、何が自分の心を打ったか、あるいは打たなかったかを言葉にして交換し合う。
- 2つ目は、「共通了解志向型対話型(超ディベート)」
- 3つ目、「本質観取」
- 哲学する=本質観取する、とも言える。
- 概念の本質がわかれば、さまざまな問題を解き明かしていくことができる。
- 哲学対話には、安心と承認に支えられた空間が欠かせない。
- 哲学対話の方法1つ目、「価値観・感受性の交換対話」
第16講 本質観取をやってみよう〜「恋」とは何か?〜
- 本質観取5つの注意点
- 辞書的な定義づけするのとはまったくちがい、言葉の本質的な意味をつかみ取るもの
- ふだんはほとんど無意識に感じ取っている本質を自覚的な言葉にして表現すること
- その言葉や概念についての経験がなければ、本質観取はむずかしい
- 実際にやるときには十分な配慮と注意が必要
- 人数は6〜12人がよい
- 本質観取の手順
- ①体験(わたしの確信)に即して考える
- ②問題意識を出し合う
- ③事例を出し合う
- ④事例を分類し名前をつける(キーワードを見つける)
- ⑤すべての事例の共通性を考える
- ⑥最初の問題意識や疑問点に答える
- ④,⑤あたりで、「本質定義」「類似概念とのちがい」「本質特徴」「発生的本質」といった観点を取り入れると、深みがぐっと増す。
- 本質観取5つの注意点
最終講 哲学的思考はシンプルであれ