📚人生のレールを外れる衝動のみつけかた
- 序章 なぜ衝動は幽霊に似ているのか
- 憑かれたようにとりくむ。
- 「将来の夢」とか言うが、衝動は将来につながるかとか関係なくなる、将来のことはどうでもよくなる。
- 第一章 衝動は何ではないか
- 「モチベーション」という合理的な説明では回収しきれない過剰さや残余こそが、衝動。
- 他の人からしたら、「えっ?なんでそんなことを、そんな熱量で?」と反射的に感じるようなもの。
- 衝動は、人の行動を脈絡なく、不連続に変えてしまう。当人からしても奇妙に思えるような変化をもたらす。
- 衝動とは、
- モチベーションの語彙では説明できず、
- 「なんでそんなことを、そんな熱量で?」と周囲・自分自身が疑問に思う、
- 非合理な動機であって、要領の良い、賢い行動とは無縁なもの。
- 「モチベーション」という合理的な説明では回収しきれない過剰さや残余こそが、衝動。
- 第二章 衝動とは結局何ものなのか
- 衝動は、強い欲望ではなく、深い欲望。
- 深い欲望はわかりにくく、見えにくく、補足しづらい。
- 自分の感覚から自分の欲望を立ち上げるよりも、高校やイメージなどの刺激から欲望が生み出されがち。
- 強い欲望の類が。
- 欲望の深さは、欲望の個人性や細かさ。他人に移し替えることができないほど個人的で、文脈や対象を変えると成立しないくらい細分化されているもの。
- 抽象的ではなく、文脈や個人に依存しているもの。
- 偏愛、と言えるもの。
- 偏愛を「衝動が具体的な活動の形をとったときの意欲につけられた名前」と規定すると、衝動は偏愛を開脚することで把握できることに。
- 個人的な深い欲望の偏愛をほどほどに一般化すれば、衝動が明らかに。
- が、衝動は必ず偏愛の形をとれるとは限らない。
- 似たものに惹かれていても、偏愛は根本的に違う部分にあるかもしれない。
- 細かく、詳しく語った先に偏愛があり、その延長の衝動の姿が垣間見えることもある。
- 偏愛について言語化し、それをあれこれ解釈することで衝動が見えてくる。
- 衝動と偏愛は1対1ではない。
- 1つの衝動が色々な偏愛となって現れ得る。複数の適応先を潜在的に持っている。
- 衝動は、簡単には見えてこない。時間をかけて色々やってみながら、地道な試行錯誤を通して観察していくことを続けていかねば。
- 衝動は、強い欲望ではなく、深い欲望。
- 第三章 どうすれば衝動が見つかるのか
- 自分を粗末に扱わない=自分を丁寧に扱うことが、偏愛を知る上で重要。
- 心地よく感じる環境・雰囲気を確保して、セルフインタビューを行う。
- 丁寧に扱う、がイメージできなければ、違和感や不快感を避けること、取り除くことからスタートが有効。
- わかった気にならずにいるようにする。
- 何かを理解した気分に浸ることができれば、人は安堵する。で、そういう気分に浸ることを、理解することとほぼ同義語として扱っている。ではなく、それっぽい説明や理解した感じで思考をストップさせない。
- 思いや考えを控えないようにするの大事。
- 自分の衝動がわかっていれば、「これさえ譲らなければ他はどうだっていい」という潔さ、爽やかさがある。
- 支離滅裂さや無根拠さが、偏愛を探り当てる上での一つのシグナルとなりうる。
- 自分を粗末に扱わない=自分を丁寧に扱うことが、偏愛を知る上で重要。
- 第四章 どのようにして衝動を生活に実装するのか
- 外在的アプローチ(当人を無視して外側の事情で目的を課される)は、当事者の願望や欲望を無視し、偏愛や衝動を抑圧した上に成立する。
- 学校に代表されるのが、外在的アプローチ。
- では、外在的アプローチは存在させず、衝動さえあればいいのか。否。周囲の環境をよく観察き、協調することも大切。
- 内在的アプローチだけでもダメ。
- 外在的と内在的の折り合い、つまり計画と衝動の折り合いは、「目的」が担う。衝動から生み出された目的が。
- どうやって衝動から目的を生み出すのか?という問いが、この章の主題と言える。
- 衝動が、進むべき方向とその原動力を、知性で衝動に目的を与え、到達点を設定する。そこに至るための戦略も。
- デューイの知的省察手順
- ①環境を観察すること
- 普段の平坦な道を歩いているなら必要ないが、山道など不安定であれば自分が歩む道を観察する必要が出てくる。
- 普段通りの環境ではなく、異質な環境であればじっくり観察しなければ。
- ②記憶を探索すること
- 観察から何を読み取るかは、持っている記憶によって変わる。
- 観察と記憶の探索の行きつ戻りつが行われている。
- ③意味を判断すること
- 行きつ戻りつから、予測を形成したところでしたところで探索のプロセスは一時停止する。
- ①環境を観察すること
- 衝動が推進力になる。
- 衝動から拵えられた目的は、可変。衝動が続く限り。
- 一個人の中に衝動は複数存在し、それらが互いに働きかけ合っている。がゆえに、閾値を超えたこれまでと違う衝動が主導権を握り始めることもある。
- 外在的アプローチ(当人を無視して外側の事情で目的を課される)は、当事者の願望や欲望を無視し、偏愛や衝動を抑圧した上に成立する。
- 第五章 衝動にとって計画性とは何か
- キャリアデザインを支えているのは、コントロール願望。
- これは、衝動を考慮していない。衝動が入り込む余地がない。
- キャリアデザインは、人生を仕事のように生きることを要求しているところがある。
- 偶然の逸脱を無駄と退ける感がある。
- では、刹那的でありさえすればいいのかというと、そうではない。
- 自分の個人的な偏りや特性、つまり偏愛を意識しながら、知性を働かせる。解像度高くみる。そうすることが、フィットする目的と戦略を可能にする。
- この目的と戦略は、キャリアよりも優先されることもあるほど。
- 従来のキャリアのレールに乗ることは、自分が持っている固有の偏愛を無視して生きる以上にリスクがあるのではないか。
- 自分の偏った部分を削ぎ落として、無理に標準化し、鋳型に押し込むことがリスクがないと言えるのか。
- どの選択肢が自分の偏りにフィットするかは、衝動が突き動かす方向性にあり。
- 衝動に基づく生き方は、衝動の方向性を最大限優先するがゆえに、訂正や変更に最大限に開かれており、目的や戦略を実験的に試行錯誤し続けるもの。
- キャリアデザインを支えているのは、コントロール願望。
- 第六章 どうすれば衝動が自己に取り憑くのか
- 自分を、衝動を感受しやすいメディアに。
- ただ、感受しやすいことのデメリットも。
- 感受しやすいがゆえに、自分に侵入してきたものに影響を受け、妙な方向に進んでしまう可能性も。
- 感受しやすさから影響は避けられない。その自覚を持った上で、それをどう乗りこなすか。
- 「善なるものを招き入れる」
- いいなと思うことに働きかけてみて、世界の側から何かが返ってくるのを楽しむ。
- 「善なるものを招き入れる」
- 感受しやすくなるためには、自分から行動してみることが不可欠。
- 世界から望ましい流れを受け取ろうとするために。
- 「誘惑される力」大事。対象に魅力があったとしても、その魅力を感じとる力がないと、誘惑される力がないとそれに気づけない。
- →p202「ライブで体験しなければ意味がないのか問題」から、p214までは哲学的論考っぽく、かつわかりやすくておもしろい。
- 終章 衝動のプラグマティズム、あるいは実験の楽しみ
- マルチタスキングの常態化が「快楽的なダルさ」を与えてくれ、寂しさを一時的に忘れさせてくれる。
- この寂しさは、他人に囲まれながら他人と接することができず、他人を依存的に求めてしまう状態。
- SNSなどで容易く他者とつながれる。がゆえに、互いが互いを交換可能な存在と認識し、寂しさを埋められる存在にはならない。
- 寂しさのレールを外れた先にあるのが、「衝動」が導く生き方。交換できない個人性に根差した、偏った原動力がそこにはある。
- 生活の中心を<趣味>の楽しさに置くことは、寂しさを楽しさのある暮らしに変え得る。
- すごく読みやすく、章の最後に毎回そこまででわかったことを入れてくれるので、理解を確認しながら読み進めることができ、迷子にならずに読み通すことができた。自分の人生を楽しくするためのヒントがあったと思うし、どうにか衝動というものに憑かれる生徒を増やすことができないものか、と考えたり。で、そこに自分の衝動は多少なりともあるのかも、と気づくこともできた。