📚道徳は進歩する

20260203

第一章 利他性の起源

  • アウストラロピテクスから、集団で生活している。
    • 集団で生活するような社会集団では、行動に抑制がかかるはずであり、そこから社会倫理がはじまったはず。
  • 利他行動を(この段階では)自信が一定のコストを払って他者を益する行動と定義。
    • 動物にも見られる。
  • 自分がリスクをとってまで他の益となる行いは、なぜ自然淘汰されておらず、残っているのか。
  • 進化と利他性の部分の解説は、「利己的な遺伝子」と同じ。
    • 血縁利他性
      • 自分1人の命よりも、血縁関係にあるもの数人を救うことで、自分の遺伝子よりも多くの同じ遺伝子を残せる場合の利他性。
    • 互恵的利他性
      • 自分が助けるのは、自分が相手の状況に陥ったときに助けてもらう、つまりらお互いが助ける関係にあった方が、生存の可能性が高くなるから行う利他性。
        • 社会性動物に見られる。
    • 集団利他性
      • 互恵的利他性の起こりを解明するのは難しいが、集団利他性からと想定できる。ある集団で互恵的利他性が生まれ(それは血縁利他性からかもしれない)、他集団より優位に立った場合、その集団は存続する。利己的な集団に対し、利他的な集団が優位になり得る。
      • よそ者への敵意と組み合わせられたときによく働く。

第二章 倫理の生物学的基盤

  • あらゆる場所に、その場所の倫理規範がある。
  • イク族は、ホッブズの自然状態を顕現した存在。
    • 大きな困難を抱え、それにより他人を助けるものはばか者という価値観に。
    • とはいえ、倫理規範は存在し、困難な状況であっても人肉の食料にはしていない。
      • 相手を傷つけることも良くない、としている。
  • 強制収容所の暮らしは、非人間的にしか扱われていなくとも、互いに助け合っていた。
    • 盗みがあれば罰することも。非人間的な環境でも、倫理規範は存在する。
  • 倫理は、理性を持つ人間特有なものと考えたくなるかもしれないが、生物学的基盤がそこにはある。
    • 倫理規範は多様だが、その基礎となる共通の要素が存在し、その要素を人間以外の社会中動物にかんさつされることも。
    • 人間倫理は社会性空の発展、と考えることには危うさがある。
  • 血縁者に対する規範は、ほとんどの社会でよく見られる。
    • 民族の多くで支配的な構造。
    • 家族の結びつきは排他的で差別的な忠誠に基づいている。
      • 無理やりその結びつきを無くそうとしても、無くなりはしない。
    • 人間行動における、抗いがたい傾向。
  • 家族への気遣いが道徳的美徳で、自身の子どもたちの利害を共同体の他のメンバーの利害より優先するほうが褒め称えられるのはなぜか。
    • 社会全体にとっての利益にある。
    • もし仮に家族に対する気遣いがなければ、共同体にそれが降りかかるため。
  • 人間の間には、互恵性の絆も普遍的。
    • 与えたものと得られるものが釣り合うか、というのは、公正な交換かどうかの判断に。
    • 利益を返す義務が正義のはじまり、ともいえるかも。
    • 「利益を返す」と「危害に復讐する」は対応しており、一組になっているとみなされる。
  • 互恵的に振る舞わない人への道徳的憤りは、つまり裏切られるのを嫌悪することには、利益がある。
    • 裏切者をそのままにしておくと、長期にわたって何度も裏切られ、かなりのコストを支払わされる。見つけて縁をきるコストを惜しまないだけの価値がある。
  • 人間は意思疎通ができるため、個人的憤りを一般原理におき、共有することで集団の道徳的憤りに。
    • 意思疎通は、互恵的利他性を示さない人を集団内に拡大可能。その結果、その人は誰にも助けられないように、
    • 逆に、信頼も広がる。
    • 互恵的利他性が利己性をはらんでいると、称賛は取り下げられたり弱まる。
  • 著者の言う利他性は、自分のためではなく、他者が益するための行動を指す。
    • この意味での利他性、真の利他性は、魅力的にうつる。
    • 互恵的交換においてパートナーであることに利益があり、他人を気にかけてさえいればパートナーとして選ばれる可能性が高い、のならば、他人を気にかけることは進化的に利益がある。
  • 社会生物学は、利己心が動機づけると考える。が、社会生物学自体が、真の利他性の動機づけの存在を証明できる。
    • 囚人のジレンマでは、共に利他的であれば2人合わせて最も少ない期間で釈放される。つまり、もっとも利益が高い。
      • 互恵的でなく、真に利他的な場合に成立するシナリオ。
    • これは、利他的である代わりに、パートナーを見捨てるのは悪いことだという義務感のようなものに動機づけられていても、真に利他的な場合と同じ目標を達成できる。
  • 血縁利他性、互恵的利他性と同様に、集団利他性は人間生活において広く見られる。
    • 自身の集団に対する忠誠心が多くの異なる文化に見られる。
    • 個人的な利他性は認められないが集団的な、他の集団に対する利他性は称賛されるのはなぜか。
      • 哲学者は、自国ではなく世界共同体へ忠誠心を向けるべき、と考えてたりする。
      • が、自国への忠誠心を揺るがすのは困難。
      • 生物的か基盤を持つので、さもありなん。
      • 文化による部分もあるのも。
  • 倫理では、文化的要因と生物学的要因が相互作用する。

第三章 進化から倫理へ?

  • 利他性が、社会性動物において進化により獲得した可能性があり、人間に見られる倫理体系といくつかの点で類似したものへと進化してきた可能性がある。
  • エドワード・ウィルソンは、社会生物学理論が倫理にとって重大な意義をもつと主張。
    • ウィルソンの三つの主張。
      • 生態学的・遺伝的結果を検討することで、ロールズの正義の構想に新しい知識をもたらす。
        • 倫理への進化的アプローチが必要なことは自明。
      • 科学は、既存の倫理的信念を損なう。例えば、人間にとって何が自然か、に関する誤った思い込みなどを。
        • 異性と子孫を残す、が、必ずしも自然でない。同性愛者が血縁者の助けとなれば、その集団の生存・繁殖率は高まり得るがゆえに、同性愛が遺伝子を残しうる。
      • 科学は、倫理学的前提の新しい集合、または古い倫理的前提の再解釈を提供してくれる。
  • 著者としては、ウィルソンの一つ目、人間本性に関する生物学理論についてある程度知るべきというのは間違いないと考える。
    • ただ、倫理の生物学を作り上げる、というような、生物学ですべてが説明できるというわけではない。表面的なレベルでしか、倫理には影響を与えないだろう、も。
  • 二つ目について、生物学理論は確かに「自然法」理論に対して影響を及ぼす。が、そこまで大きくない。
    • 自然法はカトリック界隈のみ。
    • 不自然だから悪い、という論法は、妥当でない。
  • 生物学的説明がない場合、何らかの普遍的に見える道徳原理は自明の道徳的真理だと受け入れられるかもしれない。が、血縁選択という生物学的説明をされるとたちまち、真実味を失う。
    • 科学的説明は、原理の真実味を損ない、信用を失う。
    • 特に、部族社会に適合している、歴史の初期段階の倫理的原理ほど、そう。
  • 生物学的本性に、倫理的前提はあるか。
    • 二つの問いに対する答えは「イエス」。
      • 事実と価値の間の隔たりはあるか。
      • 生物学からの倫理的前提の導出は、この隔たりを回避しているか。
    • 価値は行為につながるが、事実は何に価値を置くかについて教えてはくれない。
      • 価値は、行為の理由を与えてくれる。
      • 事実は、行為の理由を与えてくれない。
    • 多くの事実は、隔たりに架橋できるか。その中にある、生物学的な事実はどうか。
    • 科学が、事実と価値の隔たりに架橋することは可能ではない。
      • 倫理的前提は、科学的探究によって発見されるようなものではない。
      • 倫理的前提を選択する。遺伝子が選択するのではなく。
  • 人々がどう行為するのかに関する理論があっても、それは人々がどう行為すべきかについては何も言わない。
    • ゆえに、ウィルソンの理論には「べし」という価値語が含まれているが、その「べし」を理論的に実証することはできない。
      • 理論から予測できたとしても、その予測できることを知っていたらその裏をかくこともでき、それをまた予測されていたならまたその予測の裏をかき…
  • 科学全体は、倫理の前提を与えられない。
    • なぜなら、倫理は「べし」という価値判断を含むから。
    • それは、自分で選ばざるを得ないものだから。

第四章 理性

  • 理性的能力がもたらす結果は予想しにくい。
    • どこに達するか、前もって知ることはできない。数学のように。
    • 以下は、倫理も、理性的能力により倫理の起源と本性に関する説明を生み出そうとする試み。
  • 倫理の最初の一歩は、ヒト以前の、社会性動物において踏み出された。
    • 血縁利他性、互恵的利他性から。
    • さらに、意思疎通ができるようになり、言語も発達し、自己の認識や社会生活パターンへも意識するようになり、反省を覚えて反省に基づいて選択できるようになった。これらが、進化的に利益となった。
    • やがて社会習慣が、互いに対する行為について指示する規則・指針の体系に。そして倫理・道徳の体系へ。
    • 唸り声とはまったく違う、判断を説明する能力を得た。
      • なぜそれをやったのか、の説明を伴う、倫理的判断へ。
    • 利害中立性が、判断に求められ、自己利益に訴えることができないように。
      • 集団全体の同意を得るためには。中立性を見せかけることが必要に。
    • 社会慣習が動物の利他性と現代の倫理の仲介に。
      • 理性が入り込んだ。なぜなら、慣習は、特定の出来事を一般的な規則の下における能力、理性的な能力がいるから。
  • どのようにしたら理性的存在が、遺伝的基盤を持つ実践を、慣習が道徳的な力を得るような体系へと変えるのかを見てきた。
    • 慣習自体に疑いの目を向けるには、外部のものの視点が関係する。
    • 慣習間に差異があったとき、自身の社会の慣習に従うべきだとするのは論理的帰結とはならない。
    • 慣習から道徳的思考の段階へと歩を進めるには、ソクラテスのように倫理の合理的基盤を求めていく必要がある。
  • 倫理的であるためには、決断はその影響を受けるすべてのものの利害に等しい重みを与えなければならない。
    • 利害的中立性。
    • 好みや利害関心のみを考慮することは、倫理的論争を解決する方法の一つ。もしこれが、唯一の方法なら、倫理は合理的基盤を持つ。
  • 利害的中立性は、すべての人の利害を等しいものとみなす態度をとるよう私たちを導くか。
    • すべての人の利害を均等に考慮する以外の態度はあるか。
    • 例えば、それが利己主義なら、誰もが自分の利益を促進すべきと主張する。がそれは受け入れられない。
    • 受け入れられるとしたら、誰もが自身の利益となるよう行為すべき。
      • 否。これは結局、すべての人を均等に考慮していることに。
    • 誰もが利己主義であれば、合理的基盤になり得る。が、道徳的原理としては妥当でない。
      • すべての人がより豊かになるのであるという条件が必要。
    • 慣習的に良いとされる、妥当とされる道徳規則は、影響を受けるすべての人の好みを合計することなしに利害中立性の要件を満たす。
      • すべての人の利害の偏りのない考慮が倫理の合理的基盤であるという考えに対する脅威。
  • 集団にとっていい結果をもたらすがゆえに集団に勧められるのではない点で、慣習的道徳規則は受け入れられない。
  • 以上より、利害の偏りのない考慮という原理のみが、倫理の合理的基盤となる。
    • これは、すべての人の利益を促進する。
    • 利他主義や慣習的道徳規則は、たんにそれらがそれら自体として正しいだけ。
      • ただの、好みの表出。
  • ほかのいかなる倫理的原理にも問うことができるのは、
    • 主観的好みではないか。
    • 違うなら、私たちとは独立して存在する世界の要素であると前提されているか。
    • されているなら、なぜ私たちの欲求とは独立に行為の理由を与えるのかについて、説明できるか。
    • 以上を満たす原理が出てこない限りは、単純な考えである利害均等考慮の原理を合理的基盤としよう。
  • 道徳は、我々と彼らの形をとる。
    • それを取り払って、完全に普遍的な観点への移行は大きな変化。
      • 倫理的推論のレベルで受け入れられ始めたばかりで、実践のレベルで受け入れられるのはまだ先。
    • 理性的能力が導いた方向か?
  • なぜ私たちの理性的能力は、集団内での利害中立性を超えるものを要求するのか。
    • 集団の利益は、他の集団の利益を無視することで促進されるのにも関わらず。
    • 理性は、働き始めればどこで終わるかわからない。集団内の利害的中立性を集団外にも拡大する。
    • 倫理の合理的基盤も、同様に拡大する。決断はその影響を受けるすべてのものの利害に等しい重みを与えなければならない、というものが。
    • 自分の血縁者や隣人に対する義務が、他人の血縁者や隣人に対する義務よりも重要ということはないとみなすよう、私に仕向ける。
    • さらには、全人類に対して平等に関心を持つべきことを受け入れるように。
    • さらにさらに、自身の種に限定せず、ほとんどの動物を含むところまで押し広げられるべき。そこまでして、利他性の拡大をやめるところとして唯一正当化可能。
  • 拡大をやめるところは、感覚を持つ生物すべてを、利害均等考慮の原理の対象としたとき。
    • 感覚をもたない事物は、考慮されるべき好み、つまり利害を持たないから。対象としても何も残らないから。

第五章 理性と遺伝子

  • 自身とその血縁者の利益を促進する祖先の能力のおかげで存在する私たちは、純粋理性の普遍的観点をとることが期待できるか?
  • ヒューム:理性は欲求に対抗できない。
    • 理性は、自身の選択の結果を整理するのを助けるかもしれないが、何を最も欲しているのかを教えてくれはしない。
    • 社会生物学的に言い換えると、「理性は遺伝子の奴隷であり、ただそうあるべきである」。
  • それぞれの「利己的」が意味するところは異なる。
    • 心理的利己主義(人の行為は究極的には利己的)の利己的の第一の解釈は、他人の利害を考えることで自分の利益になるときを除いて、どの他人の利害も考慮しない、という立場。
      • この意味で誰もが利己的というのは無理がある。
    • 第二の解釈は、利他的行動は自分が満足するため、というもの。
      • 献血するのは、見知らぬ人を助けることから満足を得ているから。
      • 包括的過ぎて有用な機能を果たさない。
    • 社会生物学者の唱える進化理論では、利己的な行動を促進する遺伝子は存続する可能性が低い、と考える。
      • 利他性が進化理論と整合的に生じ得る、という立場。
      • 利他的とは自身の適応度を犠牲にして他の個体の適応度を高める場合、利己的とは他の個体の適応度を犠牲にして自身の適応度を高める場合。この場合の適応度とは、生存する子孫の数により測定される適応度。
        • この立場では、他人の幸福しか考えてないとしても利己的であることを意味することに。
  • 人間は、進化的に意味のないことをする。性行為がその一例。
    • 避妊具の普及から考えられるのは、理性が遺伝子を飼い慣らすことができる、つまり、理性が進化を克服できる例ではないか。
    • だが、理性的能力だけで遺伝子を克服できたということではない。
      • 利他行動が血縁関係に限定する遺伝的傾向を。
  • とはいえ、人類が自分の利益になることをするに違いない、と断定する理由はない。
  • 献血は、非互恵的な真の利他性、と言える。
    • 理性は、血縁や互恵に関係なく、他の集団より重要ということはないと理解できる。生物学的理論が理性によるこの利他性の輪の拡大を受け入れることができるなら、非互恵的利他性の存在と矛盾ないものに。
  • エドワード・ウェスターマークは、倫理の拡張は理性ではなく利他的感情の拡大による、と考えた。
    • 著者の、理性の拡大もウェスターマークの利他的感情の拡大も、どちらかではなく、どちらももあり得る。
    • 共同体が拡大→集団同士の交流→互恵的利他性の利益の拡大→感謝・公正さも拡大、が道徳の拡大。
    • これは、理性の拡大を否定するものではない。
  • 理性が倫理において役割を果たすことが認められれば、文化的違いが大きいにも関わらず偏りのない倫理という基本原理を導きだしたことは、驚くにあたらない。
  • なぜ非互恵的な利他性は進化によって淘汰されなかったのか。
    • 利他性の拡大が理性的能力の結果だと考えると、問いの答えが現れてくる。進化は、理性的能力を淘汰しそうにはない。
      • 理性は進化的に有利であるから。
    • これは、友人・血縁者の強い輪を超えて気遣いを拡大する理由の妥当性の理解と理性的能力とは、密接に結びついているという前提とする。
  • 客観的観点に立つと、自分の利益が他の人の利益よりも重要であることはない、と受け入れられる。が、だからといって自身の利益を優先してしまいもする。
    • 理性的な理解と行為は同じではない。
    • なぜこのようなことが起こるのか。理性は情念の奴隷であるからか?
  • 自身の利益を望むのであれば、理性はその人が望むものを得るためにしか役立たない。
    • ただ、理性的に理解した客観的観点を無視し続けることは、不整合に居心地の悪さを感じる。で、そこ居心地の悪さー認知的不協和ーは、動機づけ因子になる。
    • よって、客観的観点に従い行為する動機づけの力を発達させる。
      • 自己の利益追求の方が、進化的に古いが。
  • 不整合は、個人の信念と行為の間ではなく、個人の行為とその人が公に尊重しなければならない原理との間の衝突。
    • 偽善的に、理性を用いることになるが、この偽善は自身の利益を促進するためのもくろみ。
    • でこれは、公的原理と私的原理の不協和音をもたらし、その不整合もまた動機づけの力になり得る。
    • 私的に合わせるか、公的に合わせるかどちらの道もあるが、共同体との結びつきを優先して完全に自己中心にはなりにくい。
    • また、自己中心は自滅的で、その先に幸福はない。自身の外部にある人生の目的が幸福な人生につながる、と哲学者たちは主張している。
  • 以上より、集合体レベルでは、理性的能力が利他性を拡大する合理的根拠になるが、個体レベルでは必ずしもそうではない。
    • この、集合での理性の働きと個体の生物的本性に基づく欲求の双方での緊張関係の中での揺れ動きが。理性的な理解と行為の違いをうむ。

第六章 倫理の新しい理解

  • 社会生物学は、倫理を、集団のなかにおける限定的な利他性を基礎に置くものという理解を与えてくれる。
    • これにより倫理はオーラを失い、自然本来に由来するものに。
  • 慣習的な倫理は、すべての人の利害の偏りのない考慮が倫理の合理的基盤であるという考えに対する脅威だが、この原理が合理的要素なら、慣習の無根拠を暴く説明が存在するはず。
    • 社会生物学的とは違って極めて抽象的で極端なこの原理は、現実の人間には適用できないか。
    • 「私はどう行為すべきか」「私たちの社会の倫理規範はどうあるべきか」という二つの問いを区別することで、理性と慣習との対立が明確に。
  • 個人の決断、つまり、私はどう行為すべきかの選択を、生物学を用いて説明すべきではない。
    • 自身の行動を制御していないことを含意するので。
    • 自身の選択の責任をとらなければならない。
  • 社会の倫理規範をどうすべきかを問う場合は、抽象的に理性を働かせすぎるべきではない。
    • 人間の自然本性に無関心すぎる。理性で定めたことが必ずしも人間の倫理規範に合致はしない。
    • 人間の自然本性にすでにある傾向を利用すべき。
  • 人間生活の問題のいくつかは、環境ではなく人間の自然本性にその根があることを、社会生物学は裏づける。
    • が、この説明のみで、他のすべての慣習とバイアスを退けるのはよろしくない。とはいえ、人間の自然本性は変わり得る。利用すれば、方向は変えられる。
  • 普通の人の倫理規範としてどれが有効か否かを、人間の自然本性に関する知識の利用が必要。
    • 倫理的原理が生物学的基盤とする考えを一掃して残るのは、利害均等考慮の原理となる。
    • 利害均等考慮の原理は人間には適合しない道徳。
    • よって、善悪に対する原理として利害均等考慮という客観的観点をいくばくか放棄することなしに、倫理を考えることはできないから。
  • 道徳規則に従うことは、すべての人の利益の促進を行うよう導くものか、すべての人の利益を最も促進するのではないことを強制するかのいずれか。
    • 二つ目の規則は、自然本性が持つ傾向を全体の善のために利用できる。利他的振る舞いによって、自己が得られる利益を高めるのに役立つから。
  • すべての人の利益を最も促進するのではないことを強制する規則は、対象は人類全体ではなく、個人が個人に対する悪い行いとみなされる。
  • 規則はまた、なすべき義務を限定する。自身と血縁者の利害をその他の利害よりも高く位置付けるのは進化論的にいたって普通。なので、人間のための倫理は、要求を限定するのが賢明、つまり、生物学的に難しいことを要求しないほうがいい。
    • 規則は尊守が難しすぎないように設定可能なので。
    • 禁止は命令より守りやすい。
    • 具体的な規則は機能しやすい。
    • 判断材料が揃うよりも規則により規定する方が、個人の利害や情報的不足による事実認識の歪みを防ぎ得る。
  • よって、合理性以外の道徳規則を一掃することはできない。
    • とはいえ、道徳規則のみでは直面するケースのすべてをカバーできない。
      • 人間の自然本性と人間生活は複雑すぎる。
    • 道徳規則は社会的産物で、多くの場合に有用で守られるべきものだが、全ての者への偏りのない気遣いイエスとは言えない。
    • 集団においては倫理的規則は支持される必要があり、一方で個人においては規則を破るべきときもある。それはあくまでも、個人の責任においては。
  • 倫理は沼地だが、境界と説明可能な形を持つ。
    • 人間の自然本性と、偏らない理性の働きとの区別において。
    • 個人的観点と社会的観点との追突において。
    • 破られるときがある倫理的規則でも擁護する必要性があることにおいて。
  • 知識を持てば理性により人間本性からの影響に楯突くことを可能にする。
    • 性欲もたらす帰結を人間本性に訴えても抑えることは難しいが、避妊具はそれを可能にする。
  • 人間文化はそのままだと利己的行動が遺伝子に有利になりかねないような事態を無効化したり、覆したりすることができる。
    • 人間本性に則っての行動であったとしても、それにより何もなければ遺伝子を多く残すことになりうる行動に対し、処罰を与えることでその遺伝子の増加を抑えることができる。遺伝子の存続可能性に影響を与えられる。
  • もっと多くの知識を得たとき、自身の遺伝子の奴隷ではないのだと心から主張できるようになるだろう。